NHK大河ドラマ「西郷どん」、毎週楽しく見ています。学生時代から勉強が大嫌いだった私は西郷隆盛がどんな人なのか、そんなによく知りません。
小学生の時は、日本史がわりと好きでしたがそれは専ら派手さがある戦国時代でした。明治維新あたりは、全く興味がなかったです。
ベタですが、大人になって司馬遼太郎さんの「竜馬がゆく」を読んでから幕末に少しは興味が湧いてきました。ここ10年位の大河ドラマで一番好きなものはと聞かれたら宮崎あおいさんが主演された「篤姫」です。その時は、鹿児島まで行きました。今年も鹿児島に行けたらと思うのですが・・・
よく、宮崎あおいさんと二階堂ふみさんが似ていると言われますが「西郷どん」では二階堂ふみさんが愛加那役で出演されています。そして、今私のマイブームは二階堂ふみさんです(笑)
また、篤姫の時は小松帯刀役を演じられていた瑛太さんが今回は大久保利通役を演じられているのも私としては嬉しいです。
そんな「西郷どん」の時代から愛飲されていたコーヒーに因んだものが茨城県のサザコーヒーさんから発売されました。
サザコーヒーさんは以前から徳川慶喜のコーヒーを再現した「徳川将軍珈琲」を販売されていました。それに次ぐものとして発売された「プリンス 徳川 カフェ」どんなものなのでしょうか。
サザコーヒー 「プリンス 徳川 カフェ」
「プリンス 徳川 カフェ」は最後の徳川将軍「徳川慶喜」の実弟にあたる水戸藩最後の藩主「徳川昭武」の物語に因んだコーヒーだそうです。
”コーヒー”という言葉が出てくる最古の文献
UCCコーヒー博物館によると、コーヒーという言葉が出てくる最古の文献は天命2年(1782年)に発表された蘭学者・志筑忠雄の訳書「萬國管窺(ばんこくかんき)」で、そこには「阿蘭陀の常に服するコッフィというものは、形豆の如くなれども、実は木の実なり」と書かれている。また同館によると、コーヒーを飲んだことを初めて記した日本人は長崎奉行所に赴任していた幕臣で狂歌師の大田南畝(蜀山人)だという。南畝は随筆「瓊浦又綴(けいほゆうてつ)」の中で「紅毛船にて『カウヒイ』というものを勧む、豆を黒く炒りて粉にし、白糖を和したるものなり、焦げくさくして味ふるに堪えず」と書き残している。
そのほか、長崎・出島に出入りする通詞(オランダ語通訳)や宇田川榕菴も書き残しているが「北方警備の眠気覚ましに飲むとか、焦げ臭い、苦いといったものばかり。注目すべきは“頗る胸中を爽やかにす”という感想で、コーヒーの味自体を楽しんだという文字記録は航西日記以前のものは知られていない」という。
徳川昭武とコーヒー
1867年7月1日、パリ万博の表彰式が開かれ、昭武は各国の王族や皇族とともに列席。その後、スイス、オランダ、ベルギー、イタリア、イギリスの5か国を歴訪し11月末から留学に専念し始めた頃、幕府が終焉を迎える。翌年5月に新政府からの帰国命令が届き、昭武は帰国を決意。帰国前のフランス国内旅行時に昭武はコーヒーについて触れている。
昭武が日本語とフランス語で自ら筆をとった日記などを翻刻・翻訳・編纂した「徳川昭武幕末滞欧日記」(松戸市戸定歴史館)には、西北部の港湾都市シェルブールで「海水浴客用施設に足をとめ、そこで海原を眺めながらコーヒーを喫む」(8月2日)、「海岸で気持ちよくコーヒーを味わう」(8月3日)と記されている。
また同月7日には、西部のブルターニュ地方で「夕食後、渋沢氏の部屋でコーヒーを飲んでいると、シャン・ド・バタイユ(戦場)広場で演奏されていた音楽が聞えた」と書かれている。
昭武はパリ万博の表彰式に列席し、帰国直前のフランス旅行でコーヒーを飲んだのですね。
「海岸で気持ちよくコーヒーを味わう」という記述から推測すると、昭武はコーヒーに対して非常に好意的だったのだと思います。ここには記されていないですが、ブラックで飲んだのでしょうか。気になりますね。
「プリンス 徳川 カフェ」とは
パリをたち紅海を航行している際に「有名なモカの街が見えた。この辺りは優れたコーヒーを産するとのこと」(11月1日)と記した点に着眼し、イエメン産とエチオピア産のコーヒーをブレンドしフレンチロースト(深煎り)した。
昭武は、パリを発った後に海上からモカの街を見たのですね。
サザコーヒーさんが、昭武の物語にちなんでというのはこの記述からですね。モカ港から海外に渡っていたイエメン産とエチオピア産のコーヒーをブレンドしてフランスを発って紅海を航行していあというところで「フレンチロースト」にしたというわけですね。
サザコーヒーの谷口肇営業部部長は「エチオピアやイエメンのコーヒー豆は当時、モカ港から世界へと出荷されていた。このような歴史があって両国産のコーヒー豆をモカと呼ぶようになった」と説明する。
商品名は、パリ万博に集った各国皇帝・国王らが昭武を次期将軍として処遇したこと、イギリスの新聞に「プリンス・トクガワ」と紹介されたこと、自筆仏文日記にコーヒーのことを「cafe(カフェ)」と記したことにちなんでいる。
そして、その商品名はパリ万博で昭武が「プリンス・トクガワ」と紹介されたところから付けられたようです。
素敵なストーリーですね。きれいに繋がっていますね。
「徳川将軍珈琲」とは
せっかくですので、以前より販売されているサザコーヒーさんの「徳川将軍珈琲」のストーリーも、ご紹介しておきます。
一方、「徳川将軍珈琲」は、1867年4月、昭武がパリに滞在している頃、慶喜が英国公使パークス一行をはじめとする英仏蘭米の四か国代表を大阪城に招きフランス料理でもてなした際に提供したコーヒーを史実に基づき再現したもの。
この晩餐の約8か月前、長州との戦いの最中に十四代将軍家茂が没し幕府は完敗。幕府の権威が失墜する中、当初固辞したものの紆余曲折を経て将軍職に就いた慶喜は、四か国代表を大坂城(大阪城)に招くことで将軍の威力を示し権力を掌握したことを知らしめようとしていた。幕府の命運をかけた外交儀礼のため、ここでの接待はロッシュの助言の下、フランス人シェフを雇い本格的なフランス料理を振る舞う手の込んだものとなった。このときの様子を記録している「幕末維新外交史料集成」(第一書房)によると、4月29日(慶応3年3月25日)は、パークス一行をフランス料理15品、デザート10品、酒類5種類でもてなし、食後に「御席替り候而 コーヒー 巻煙草 リキユール酒九品」と記されている。
コーヒー豆の品種・産地には触れていないが、当時のコーヒー豆の流通は「モカ・ジャワ」時代と言われ、ブラジルやコロンビアなどの中南米のコーヒー豆はまだ世界には出回っておらず、オランダが全盛期で60%を占めていたとされる。
「徳川将軍珈琲」は、このようは背景とフランス人シェフが料理を手掛けたという史実に基づき、オランダ領であるインドネシアの北スマトラ(インドネシア)の最高級マンデリンを使用しフレンチローストに仕立てたものとなっている。
どちらの商品も、ここまでしっかりストーリーがついているのは素晴らしいと思います。
まとめ
このコーヒーを買う人は、どんな人達なのだろうと考えてみました。販売されているのがどんなところかはわかりませんが。
- 観光に来たお土産
- 歴史、特に幕末が好きな人
- コーヒーが好きで、とにかく色んなコーヒーを飲んでみたい
私が、すっと思いついたのはこんなところです。北方警備にあたった津軽藩士が蝦夷でコーヒーを飲んだら壊血病にならず任務を果たせたなど、幕末あたりからコーヒー関する話は色々あります。
こういったコーヒーをきっかけに「歴史好きが講じてコーヒー好きになった」という人が増えたら嬉しいです。
最後まで、読んで下さりありがとうございました。