あんまりというか、ほとんど馴染みがない「コンゴ」のコーヒーが手に入ったので飲んでみました。
コンゴのことを、ほとんど知りませんので、まずは「DRコンゴ」がどんな国なのかを調べてみたいと思います。
DRコンゴとは
「DRコンゴ」とはコンゴ民主共和国のことです。コンゴ共和国とは異なります。旧国名はザイールといいアフリカ大陸の中央部に位置します。
国土の面積は世界で11番目に大きいそうです。
ベルギー植民地時代
1885年にベルギーの国王、レオポルト2世の私有地「コンゴ自由国」(フランス語: État indépendant du Congo、1885年 - 1908年)とされた。「国」となっているが、当時のコンゴは、ベルギー議会の影響も及ばない国王の完全な私有地であった。当初、レオポルド2世は私費を切り詰めて鉄道を建設するなどコンゴの近代化を推進したが、すぐに圧政に転じた。現地住民は象牙やゴムの採集を強制され、規定の量に到達できないと手足を切断するという残虐な刑罰が情け容赦なく科された。当時、大なり小なり、植民地での強制的な収奪を当たり前のものとしていた欧州諸国においてもこの圧政は非難の的となり、植民地経営に関心がなかったベルギー政府を動かすこととなった。
1908年、ベルギー政府は国王からコンゴを買い取り、所有権がベルギー政府に移され、コンゴは正式に植民地ベルギー領コンゴ(1908年 - 1960年)となった。1950年代後半からジョゼフ・カサブブのコンゴ人同盟(英語版)(Alliance des Bakongo)、パトリス・ルムンバのコンゴ国民運動(英語版)(MNC)が独立闘争を開始。
ベルギーの植民地時代にコーヒーのプランテーションが開発されたそうです。
紛争
第二次世界大戦後に起きている紛争で、最も多くの犠牲者を出しているのはDRコンゴです。私たち日本人からすると意外な感じがしませんか。
シリアやパキスタンやイラクなどだったら、そうなんだと思えるのですが。DRコンゴに関した報道って少ないので意外な印象を受けました。
そして、その犠牲者の数ですがなんと540万人以上だそうです。
コンゴ民主共和国では紛争や武装勢力の影響によって、昨年だけでも170万人が避難民となっている。ノルウェー難民評議会は先月6日、「これは巨大危機だ。人々が暴力から逃げるそのスケールはとてつもなく、シリアやイエメン、イラクを凌ぐペースだ」と発表している。コンゴでは2016年、平均して毎日5000人が家を追われたことになる。
UNICEF(国連児童基金)は先月12日、コンゴ民主共和国南西部カサイで、5歳以下の子ども40万人以上が深刻な栄養失調状態にあり、緊急支援が行われなければ2018年の間にも餓死する恐れがあると警告した。ユニセフ・コンゴ民主共和国事務所のタジュディーン・オイウェイル(Tajudeen Oyewale)代表代理は、「何か月にもわたり多くの家族が厳しい避難生活を強いられていることによって、カサイ地方の深刻な栄養失調や不安定な食料供給がもたらされている」と述べている。
コンゴ東部”女性にとって世界最悪の場所”
コンゴ東部では每日数百人規模でレイプが横行していると言います。それは、性的欲求を満たすことも中にはあるようですが、大半は組織的・計画的に「戦争の武器」としてだそうです。
性的テロリズムが「戦争の武器」として使われるのは、それが有効でかつ安価な武器だからであり、若者、特に失業中の若者を洗脳すれば、即使用できる。その上、性的テロリズムは1人に対して使われる武器だが、それは被害者の周辺で水平と垂直の方向に打撃を与える強力で影響力のある武器でもある。まず水平(家族、コミュニティー)に関して、サバイバーの女性の夫や子供たちなど家族全員にトラウマが広がった後に、恐怖心がコミュニティー全体と社会に拡散し、最終的に社会が破壊される。さらに、垂直方向(次世代)にも影響が及ぶが、それはレイプのサバイバーから生まれた子どもたちは望まれないまま生まれたために人間関係の問題に、そして子どもたちの父親がわからないという家系の問題に直面する。その子どもたちはエイズにかかっている可能性があるため、サバイバーの子孫たちを含む家族全体が破壊される。身体的にも精神的にも受けた打撃は殺害と同じように深刻であることがわかるだろう。
ノーベル平和賞以上の価値があるコンゴ人のデニ・ムクウェゲ医師 ―性的テロリズムの影響力とコンゴ東部の実態― | ワールド | 最新記事 | ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト
DRコンゴの東部は、タングステンなどの鉱物資源が豊富です。その鉱物資源を手に入れることを目的として組織的におこなわれることも多いとのことです。
日本では、こういった報道が本当に少ないと思います。もっと、こういった現状だということが報道されてもいいのではと思います。
こういった背景を知ってからコーヒーをいただくと、感慨深いものになります。
ペイザンヌ・キブ3(DRコンゴ)
ペイザンヌはDRコンゴ東部の北キブ州ブテンボにあるコーヒー生産者組合が栽培するコーヒーで、ブルボン系の良質なコーヒーを産出することで有名だそうです。
コンゴ民主共和国のコーヒー生産はベルギー植民地時代に導入され、多くのコーヒープランテーションが開発されました。古い歴史をもつ一方、世界トップクラスの鉱物資源国であるが故に紛争が絶えず、内戦勃発も影響して、20世紀末には生産量が激減してしまいました。現在は欧米を中心とした支援や国策によって、従来生産されていたカネフォラ種の生産だけでなく、スペシャルティコーヒーの生産にも力を入れるようになり、コーヒー生産量は回復傾向にあります。
そんなコンゴ民主共和国の中でも、ペイザンヌ組合のつくるコーヒーは、標高1410-2080メートルの高地、年間気温17℃-30℃のアラビカコーヒーの生育に適した環境の中で育てられました。赤く熟したチェリーだけがハンドピックされ、水洗式で精選された後、アフリカンベッドで乾燥されます。グリーンティのように柔らかくバランスの良い甘い口当たり。浅煎りに仕上げたことで、オレンジピールの爽やかな風味、チョコレートのまろやかさ、後味にシリアルの軽やかな香ばしさが楽しめます。
では、早速飲んでみたいと思います。
スクリーンサイズは小さめです。
飲んでみると、渋みが少しあります。少し若い”桃”のような印象を受けます。ブルボン種の系統と聞けば、たしかにそれらしい雰囲気も感じます。
(DRコンゴ)ペイザンヌ・キブ3✕(オーストリア)もみの木はちみつ
優しめな柑橘系のはちみつを合わせてもいいかなと思ったのですが、やはり手が伸びたのは「もみの木」のはちみつです。
もみの木、久しぶりにテイスティングします。樹木らしい風味と、最後に口の中から消えるあたりで感じるビターさがクセになります。甘いだけでない”大人のはちみつ”というに相応しいですね。
もみの木の蜂蜜を楽しんでから、DRコンゴのコーヒーを飲みます。若い桃と感じたのが、もみの木の蜂蜜を食べた後ですとビワのような雰囲気に感じます。
コーヒーを飲み終えた後のアフターフィールではグレープフルーツを感じさせる酸味を感じられます。
今まで、もみの木はアフリカのコーヒーと合わせると相乗効果でコーヒーが持っている甘みや酸味の部分をグッと引き立ててくれることが多かったのですが、DRコンゴに関してはマスキング効果で雰囲気をがらっと変えてくくれます。
そのまま飲んでも、中々ない個性的な風味のコーヒーでしたがもみの木の蜂蜜を食べてから飲んでみた雰囲気も面白いですよ。
まとめ
今まで「もみの木」の蜂蜜は、アフリカのコーヒーに合わせる蜂蜜に迷ったら選んでいました。もみの木を選んだら間違いないという安心感があります。
それは、大なり小なり相乗効果でコーヒーが持つ甘みや酸味を引き立ててくれましたが今回は、ちょっと感じた渋みの部分や苦味の部分をマスキングしてがらっと雰囲気を変えてくれた珍しいパターンでした。
DRコンゴのコーヒーが他のアフリカのコーヒーと雰囲気がちょっと違うこともあるのかと思いますが、やはり「もみの木」をあわせて失敗ということはなかったです。
そして、今回思ったのですが「もみの木」の蜂蜜は今まで「アフリカのコーヒー」にと思っていたのですが、他の地域のコーヒーでもブルボン系のコーヒーなら割と合いそうな感じがします。
このあたりは、これから検証していきたいと思います。
最後まで、読んで下さりありがとうございました。