コーヒーとはちみつと私

【コーヒー&はちみつペアリング研究家】普段、私がコーヒーとはちみつをどんなふうに楽しんでいるかご紹介させて頂きます。

【台湾のコーヒーが身近に】日本統治時代から残るコーヒーの木を元に先住民が独自ブランド

私の周りだけでも、今年になってから台湾に旅行に行ったという人が何人かいます。聞くと「食べ物ツアー」だったという人が多いです。

 

どんな物を食べて、それがどんな風に美味しかったのかを聞いているだけで幸せな気分になります。私も1度は台湾に行ってみたいです。

 

そんな台湾からは、ここ数年台湾かき氷のアイスモンスターを始め色んな食べ物が入ってきています。

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今年、原宿にオープンしたアオタイガーコーヒーも、その一つです。

 

www.coffee83.net

 

アオタイガーコーヒーでは台湾のコーヒーに日本のフルーツを合わせて提供されています。

 

そして、これから本格的に台湾のコーヒーが日本にやって来るかもしれません。

 

 

台湾の先住民が独自ブランド

日本統治時代に残されたコーヒーノキを両親から受け継ぎ、独自のコーヒーブランドを3年で育て上げた台湾原住民(先住民)の一族が南部・屏東県にいる。ルカイ族の巴さん一族が手掛けるコーヒーブランド「巴魯那」は、近日中にも日本の企業と受注契約を結ぶ見通しだという。

日本統治時代から残るコーヒーの木を基に 先住民が独自ブランド/台湾 | 社会 | 中央社フォーカス台湾

 

 台湾に日本の統治時代に残されたコーヒーノキがあったんですね。

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屏東県の台湾原住民の集落には、日本統治時代に植えられたアラビカ種のコーヒーノキが多く残っている。終戦に伴い、日本政府が去ると、産業は衰退。コーヒーノキは放置され、台湾の気候に徐々に適応していった。2000年代に入って台湾でコーヒーが流行し始めると、台湾原住民たちはこれらの木を繁殖させ、再び栽培を行うようになった。コーヒーの焙煎(ばいせん)技術を学ぶ人も増え、同県の代表的な農産物に成長。現在、県内には35のコーヒーブランドがあり、地元に戻ってコーヒー産業に携わる若者も増えているという。

2000年代になってコーヒーが流行し始めてから、台湾の原住民がコーヒーの木を繁殖させていったとは。なかなか商魂逞しいですね。

 

そして既に35ものコーヒーブランドがあるとは驚きです。

 

巴さん一族がコーヒーの栽培を始めたきっかけは両親の死だった。この世を去った両親のために何かできないかときょうだいたちで考えた結果、思いついたのが両親が残したコーヒーノキを繁殖させることだった。巴さんたちのコーヒーノキは、両親から受け継いだ35本から400本余りにまで増殖。ブランド名は家族の名前と両親の個人名から一文字ずつ取って「巴魯那」とつけた。

今年4月、シンガポールの食品展に出展した際、来場していた日本企業の担当者が巴さんたちのコーヒーを口にしたところ、「故郷の味がする」と感激し、契約を結ぶ意向を示した。今月初旬、日本から巴さんたちの農園を見学に訪れる予定だという。

ブランドの運営を任されている次男の嫁の趙義玲さんは、自分たちの焙煎技術が日本のアラビカ種の風味を引き立たせているのだろうと胸を張る。現在は日本で流行している水出しコーヒーバッグや台湾原住民が好んで食べる調味料「アオモジ」を使ったコーヒーなどの開発に取り組んでいると話し、コーヒーブランドの発展を通じて一族に栄光をもたらすことができればと語った。

 

まとめ

中国でもコーヒーの栽培が盛んになってきているようです。

 

今まで、アジアのコーヒーというとベトナムやインドネシアが真っ先に浮かびました。しかし、日本から地理的に近い台湾や中国のコーヒーが増えてくると、さらにコーヒーが身近になるように感じられる人も増えるのではないでしょうか。

 

そして日本でも、年々人気が高まっている水出しコーヒーバッグやなどの商品開発。さらに台湾の原住民が好んで食べる調味料「アオモジ」をコーヒーと合わせた商品の開発と着々と自力をつけているようです。

 

どんな商品が出来上がってくるか楽しみですね。

 

最後まで、読んで下さりありがとうございました。