地方への移住
昨年から一気にテレワークの拡大が進み、業種や職種によっては会社に出社をしなくても働くことができるようになってきました。
首都圏にある企業では、もともとあった本社をなくし全社員が一同に出社することをなくした企業などの紹介も最近ではよく取り上げられます。
そして、出社する必要がなくなれば当然会社所在地の近くに住む必要もなくなると言うことで、自然豊かな地方に移住をすると言う人も増えてきているようです。
移住まではしなくても、ワーケーションと言う形で、ちょっとした旅をしながらその場で仕事をすると言う形も出てきています。
そういったことがいろいろなところで取り上げられると、私もそんな生活がしてみたいなと憧れることもあります。
仮に移住をしたとして、そこにもともと住んでいる人たちと良い関係が築けるのか。
車であれば5分から10分圏内にコンビニエンスストアが数店舗あって当たり前の場所で生活することが当たり前となっていた私が、それらがない生活に順応することができるのだろうか。
そして一番大きな問題は、間違いなく家族に大反対されるだろうと言うところでこの数年のうちに私が地方に移住する事は間違いなくなさそうです。
実際、私が住んでいるところはそんなに都会ではないのですが。
日本の人口の減少が始まった今、特に地方においての人口の減少と言うのはこれから5年から10年先にかけ思っているいるよりも早く深刻な状況を迎えるかもしれません。
なんとか住民の減少に歯止めをかけようと自治体が移住者を迎え入れようといろいろな施策をしているところも多いです。
そんな中、山口県の周防大島町に移住して大活躍している人が紹介されていました。
山口県周防大島町のオイルサーディンとはちみつ
オイルサーディン
島の北側にある浮島(うかしま)の周辺でよく獲(と)れるイワシを生かし、オイルサーディンを商品化したのは「オイシーフーズ」(同町土居)の新村(しんむら)一成社長(47)。浮島で漁業を営む父のもとで生まれ、島内の高校を卒業後に広島市の専門学校に進んだ。自動車関連会社に勤めた後、高校の同級生との結婚を機に島に戻った。
起業を考えていた2011年、近所でジャム専門店「瀬戸内ジャムズガーデン」を開いていた松嶋匡史(ただし)社長と話した際、「オイルサーディンを作ったら」と勧められた。翌日から試作を始めて半年後に勤めていた食品会社を退職。それまで主に煮干し用だった浮島のカタクチイワシを使い、オリーブオイルと菜種油、生臭さを消す香辛料などを加えたオイルサーディンを製品化し、12年1月にオイシーフーズを立ち上げた。
長さ6~7センチのイワシ20匹ほどが入り1瓶750円(税込み)を、島内の道の駅などで販売。浮島周辺で採れるヒジキやイワシを乾燥させたいりこも売っている。「地方創生ブームで地方産品が注目され追い風になった」と新村さん。オイルサーディンは年間約2万個売れ、黒字が定着しつつある。
はちみつ
海の眺めにひかれ、10年に福岡市内のホテルを退職し、妻とともに周防大島町に移住したのは笠原隆史さん(36)。岩国市美和町を拠点とする養蜂家だった父の仕事を継いだ。ホテルの調理師として、国産蜂蜜の貴重さに気づかされたからだった。島内のミカンやクロガネモチなどの花の蜜を集め、翌11年に周防大島町内の道の駅に開いた蜂蜜の店で販売した。
店頭では、蜂蜜を何に使えばいいのかという問い合わせを何度も受けた。地域の食材を発信しようと、蜂蜜を使った料理を研究。16年にカフェ「カサハラハニー」を同町東三蒲にオープンさせた。プリンやワッフル、チーズケーキなどのメニューをそろえ、コーヒーや紅茶は砂糖の代わりに蜂蜜を用意する。売り上げは順調に伸びていたが、コロナ禍で客足が落ち込んだ。
店は妻らに任せ、島内の数カ所に置くミツバチの巣箱を巡る日々。カフェなどで売る蜂蜜は堅調だが、蜂蜜を採る体験型のイベントも検討している。笠原さんは「味と香りのバランスが評価されている周防大島のみかん蜂蜜を今後も作り続けたい」と話す。
まとめ
この周防大島町の事例は、移住をした人たちが移住先で活躍をし、その土地に利益や新しい雇用を生み出したものです。
こうして、人工の減少を何とか食い止めたいと思っている自治体と、自然豊かなところで生活してみたいなどと思い、地方での生活をしてみたいと思っている人たちにとってまさに好循環と言えるでしょう。
地方には、自然豊かな土地や環境が作り出す食材がきっとたくさんあると思います。
そういった食材のことをピーアールしたり、その食材の使い方を伝える。
そういった働き方に、今のところ私は漠然とですが憧れています。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。