内容は、ほぼ私の自己紹介となっています。4,000文字を超える長さなのでご注意ください。
職業訓練校の講師
コロナ前の2019年の夏から、声をかけていただき職業訓練校で講師の仕事をさせていただいています。
一番最初に引き受けたのは、喫茶店やカフェの開業予定者向けの講座です。
調理器具等の設備も整っていたので、座学と実技を半々くらいでさせて頂きました。
講座は大体4ヶ月ほどです。その間、4から5名位の講師で回します。
1日6時間を合計10日ほどさせていただいたと思います。
「1日6時間」と聞き、最初は少し躊躇しました。講座では最低限しなければいけないことが決まっており、それ以外はあまり大きく外れたことでなければお任せと言う感じでした。
お任せと言われても、私が話をできる事はコーヒーとはちみつに関連したこと位です。
そして今年は、フードコーディネーターの養成講座で合計8ヶ月講師をさせていただきました。
私が担当したのはデザインやマナーに関連したところが主でした。
こちらはほぼ座学のみなので、1日3時間にして頂き8ヶ月で合計25日ほど務めさせて頂きました。
4〜5年前では、人前に立って一日に3時間しゃべることなどとても無理だと思いましたが、やってみれば何とかなります。
もちろん、事前準備や勉強などかなり苦しさは感じましたが、何とかなったかなと言うところです。
その職業訓練校で「職業人講話」と言うものを開催していると言う事は小耳に挟んでいました。
「職業人講話」の依頼
私には全く関係がないと思っていた「職業人講話」。
お話をする予定だった先生が急遽体調を崩しお話をするのは無理だと言うことで、代打として話をしてもらえないかと依頼をいただきました。
お話をお聞きすると午後の3時間、仕事や職業に関連することであれば何でもいいので話して欲しいとの事でした。
話をする日までそんなに日にちもないですし、多分困ってられるかなと思い即答で「私でよければ引き受けさせていただきます」と答えました。
本当に少し前までであれば、「何でもいいと言われても、3時間も人前で喋れるわけがない」とおそらく断っていたかなと思います。
それが今回話を聞き「なんでもいいなら3時間位ならしゃべれるだろう」と何の躊躇もすることなく即答で引き受けたと言うところに自分の成長を感じることができ嬉しかったです。
最近、記憶力が低下し退化していることを痛感していたので、珍しく成長を感じることができる機会をいただけありがたかったです。
「職業人講話」で話した内容
事前準備は前日に1時間ほどしただけです。
当日、最初にホワイトボードにアジェンダを書き出し、それに沿ってお話させて頂きました。
- 自己紹介
- 私のバックボーン
- 社会人
- はちみつ
- 万年筆
- カラーアセスメント
- これからの働き方
- 質疑応答
これだけ書き出し、途中10分休憩を2回挟み完璧な時間配分で終えることができました。
自分自身の備忘録を兼ねて話した内容を簡単に記しておきます。
自己紹介
現在、会社員として働きながらどのような活動や副業を行っているか。
コーヒー&はちみつペアリング研究家、はちみつ販売、講師、はちペロ会主宰、ブロガー、ライターなど簡単に紹介させていただきました。
私のバックボーン
自己紹介を踏まえ、小学生時代からなぜ今このようになってしまったのかと言うお話。
子供の頃からとにかく食べることが大好きで、中学生のときには将来は食品メーカーに入って、かっぱえびせんのようなロングセラー商品の開発をしたかった。
毎週末、家族で喫茶店のモーニングに行くのを楽しみにしていたことでわりと早くからコーヒーを飲むようになった。
小学生時代のいじめ。
農学部志望だったのが、全滅し経済学部生となってしまった挫折など。
こんなことを話しました。「職業人講話」ですが、終了後の質疑ではいじめに関して質問を多くいただきました。
社会人
私が就職したのは1995年4月です。
就職活動をしていた頃、初めて「就職氷河期」と言う言葉が使われた時代です。
この年の1月に阪神淡路大震災があったことで、入社式の予定が大幅に変わったこと。
大好きなお肉のルートセールスをすると言うことで、期待に胸を膨らませ社会人となり、配属されたのが三重県松阪市。
ここで当時55歳位だった所長との2人暮らしが始まりました。
大学を出たばかりで、なかなかこの2人暮らしはきつかったです。
そしてさらにきつかったのは、所長の友人にえらく気に入られ、知らぬ間に寮の合鍵を作られ、寮に戻ると「飲みに行くぞ」と週に3から4回連れ出されました。
3から4軒はしごするのが当たり前で、寮に戻ると大体2時から3時ごろでした。
そして、会社には朝6時半までに入らなければいけなかったので必然的に睡眠不足となりました。
入社から3ヶ月後に、居眠り運転をしてしまい4トントラックで時計屋さんに突っ込み全壊させてしまいました。
けが人がいなかったのが幸いです。
これが、かなり精神的にきつく私の生涯で唯一食事が喉を通らなくなった時期で、体重が60キロを切る位まで減りました。
その後、母が体調を崩し会社を辞め実家に戻り、今のコーヒー会社に転職しました。
この頃は、もちろんコーヒーも好きだったのですが、それよりどちらかと言うと名古屋の喫茶店がやっぱり好きで入社したというのが大きかったです。
はちみつ
今から8年ほど前、会社でコーヒーに関連するものは何でも扱おうという流れになり、コーヒーの花から採れたはちみつを扱うことになりました。
もちろん、はちみつの事は嫌いではなかったのですが特にそれまで興味はなかったです。
蜂蜜を数種類買い、食べ比べてみると花の種類によって全然味が違うことに驚きました。
それから、はちみつに興味を持ち蜂蜜のことを色々と調べていくうちに結構コーヒーとの共通点が多いこともあり、さらに引き込まれていきました。
この頃から、いつもお世話になっている蜂和産業さんのご厚意で「はちみつフェスタ」に参加させていただき販売のお手伝いをしました。
会場に来られるお客さんは、圧倒的に女性が多いです。しかも、美女が多いです。そんなことで、一気にはちみつ熱が高まりました笑
さらに、はちみつフェスタでは様々な蜂蜜に関連したセミナーやワークショップが開催されていました。
この頃すでにやっていたコーヒーとはちみつのフードペアリングの講座をやってみたいと思い、当時の日本はちみつマイスター協会の代表理事の平野先生に「来年、コーヒーとはちみつのワークショップをさせてください」と何も考えず直談判しました。
この時点で、一度も講師などやったことなかったのですが勢いだけで突っ走っていきました。
すると平野先生から返ってきた言葉が「誰でも講師が出来るわけではなく、ここで講師をされている方は皆さんきちんと、日本はちみつマイスター協会の資格を取得されている方達です」とのことです。
「でしたら、私も資格を取得するので何とかお願いしたいです。東京まで受講しに来るのは少し辛いので、できたら名古屋で資格取得講座を開催してください」と、ど厚かましいお願いをしてしまいましたが、そのおよそ半年後名古屋で開催していただきました。
そして、無事翌年のはちみつフェスタでコーヒーとはちみつのペアリング講座で講師デビューをしました。
万年筆
夏休みに家族で東京に出かけました。予定よりかなり朝早く到着してしまい、どこか空いているところはないか調べたら、代官山の蔦屋書店が朝早く開いていたので行ってみました。
中をぶらぶらと見ていると、万年筆の試筆ができますと言う文字を見つけました。
それまで、万年筆で字を書いたことがいちどもなかったので良い機会だと思い書かせていただきました。
すると、そのぬらぬらとした書き心地に衝撃を受けました。
それから、万年筆のことを自分で色々と調べ2週間後位に初めての万年筆を買ったと記憶しています。
そこから文房具に興味を持ち始めた頃、ネット上で「文房具朝食会@名古屋 残席1名」というのを見つけました。
おそらく、残席が2名以上あったらスルーしていたかと思うのですが、あと1人しか参加できないと思うと、変な強迫観念に駆られポチっと参加ボタンを押してしまい参加しました。
ここで、文房具朝食会@名古屋の主宰者の猪口フミヒロさんに出会ったことで、世界が一気に広がっていきました。
このブログを始めるにあたり、思いっきり背中を押してくれたのもフミヒロさんでした。
文房具朝食会は、月に一度の私の心のオアシスとなり、多くの人達と楽しい時間を過ごさせて頂きました。
そして、ブログを毎日書くという苦行を、自分に課したことで自然と周りから様々なものが動き出しました。
コーヒーやはちみつの資格を取りましたが、それまでの自分だったら資格を取ることがゴールでしたが、ブログを毎日書かなければと思うと、自分から必死に情報を取りに行かなければいけないのでアップデートも自然と出来ます。
ブログ経由で様々なお仕事の依頼を頂けますし、お名前は出せませんがビックリするような著名な方からご連絡を頂いたこともあります。
カラーアセスメント
一昨年、仕事で知り合った20代の女性。大学を卒業し2年目でありながら、数百名の組織のNo.2となっている凄い方でした。
ずっと、オンラインで面談をするだけだったのですが、いつも唖然とする位の頭の回転の速さに驚かされていました。
面談で話している内容と全然違う資料を話ながら、恐ろしい速さでPowerPointやExcelで同時に作成されていました。
知り合ってから半年以上経ち、ようやく訪問しお会いすることができました。
その時、彼女の企業では多くの社員が「カラーアセスメント診断」を受講したとおっしゃられていました。
カラーアセスメント診断がどのようなものなのかとざっくりと説明を受けたのですが、その時彼女が「松岡さんは、間違いなくジョイナーですよ。それしかない!」と言いました。
とにかく、自分からいつも楽しいことを求めて、楽しいから仕事もしている。間違いないですと。
既に、私はこの時仕事をする上でかなり彼女に依存し相談することが多く全幅の信頼を寄せていたので、その言葉がすっと腑に落ちました。
自分でも、うすうすは感じていましたが仕事をするにしても自分が「楽しい」と思えなければ、典型的に動けない人間なんだと。
これを機に、自分が仕事をする上での引き受けるか受けないかの判断基準として、自分が楽しいと思えるかどうかというのがかなり大きな部分を占めるようになりました。
これからの働き方
新型コロナウイルスの感染拡大を機に、大きく働き方も変わってきました。
在宅ワークはもちろん、ワーケーションなど働き方の多様化と言うのは今後間違いなくますます進んでいくでしょう。
新しい働き方によって、今までよりも生き生きと働くことができるようになる人もいたら、反対にそれを苦痛に感じる人もいると思います。
私のように仕事においても「楽しさ」を求める人もいれば、仕事はあくまでお金を稼ぐものと割り切り、楽しさは仕事以外の部分で求める人もいるでしょう。
どれが正解と言うものはありません。正解があるとするならば、それは自分自身の中にしかないと思います。
自分が出来る限り苦しくないように。今から何か新しいことをやろうと思って、遅すぎると言う事は絶対にないと思います。
私自身、死ぬまで常に何かには挑戦し続けたいなと思っています。
そんな風に最後3時間をまとめました。
長々と、最後まで読んでくださりありがとうございました。